土曜日, 12月 19, 2015

誰のための治療なのか

都内近隣千葉県市川のST先生に患者を紹介した。

当院で長きにわたって、一般歯科治療およびインプラント治療後総合管理していた患者さんだが、都内にお引っ越し。最初に紹介した近いだろうと思われる診療室がやはりやや遠いと言うことで、ご自身でメインテナンスを含む管理を銀座の有名歯科医院にお願いしたらしい。
そこでは管理とはほど遠い多くの再治療を企画されたようで非常に困惑して当院に電話がかかってきた次第だ。ペン大歯内療法出身のお偉い先生が見てくれるそうで歯内療法のみで総額280万の見積もりに驚きとともにその必要性を訪ねたところ、以前の歯内療法に問題があるとのこと(ワシの治療だが(笑))。結論から言えば、ワシの診断なら甘く見るとかそういう基準ではなくとも再治療の必要性はないはずだが、、、くだんのST先生曰く、「何も問題ないですよ」。加えてその後補綴を提案され(当然だが)その費用は青空天井となる。きっかけはメインテナンスなのだが。。。。。



ST先生も以前から「歯科医のための歯科治療の横行」を危惧しておられた。まさしくその現場に、ワシが以前見させていただいていた患者さんは巻き込まれた感じ。どれどれと、そのすんごい医院のHPを拝見。素晴らしい経歴の先生方がお並びになる。が、医療哲学としてこれでいいのだろうか。

海外の学会で、特にアメリカの学会で目の当たりにして困惑する事例。そう、この治療は本当にこの患者にとって必要なのか?もしその治療を行わなかったとしたらこの患者はどれほどの不幸の道をたどるのか?こういうことが見事に欠落している。かつてこういう「歯科医師の事情の治療」事例に真っ向から反対していたテキサス大のDr.MFはもうお亡くなりになったが、彼がワシが送迎した車の中でそういうことをつぶやいていたのを思い出す。一世を風靡するDr.D・Tのペリオインプラントサージェリーも、日本なら術前のなんとも考えられない最悪の口腔内からの、、素晴らしい結果を残しているのだが、これこそ彼らの国の歯科医療哲学の社会保障の大きな欠落ではないのか。零点か100点なら100点がいい。しかし、65点から100点ならその差がどれほどのものを持ってしてその患者の一生を左右するのか、リスクマネージメントを含め日本人なら考えるべきと思うが。

当然、将来に対する予知性の判断基準は医師により若干左右はするかもしれない。当然当院でも患者に対してそのプレゼンはする。しかし、それは世界で唯一の社会保障から来る65点治療を覚悟的低リスクで提供する事に何の異論も無いはず。現に当院にはそれでフルマウスコンストとしても20年オーバーの患者は沢山いらっしゃるのだ。リスク回避のお手伝いを惜しげも無く提供した結果だと思っている。そして100点治療も当然20年オーバーが沢山いらっしゃる。当然と言えば当然。が、その中には、そこにたどり着けなかった方々もそれなりにいるわけで、どんな事情があろうがそれを端から否定するのだろうか。

都内のこういう歯科医療の特徴は、社会保障の低評価をほっとき、それを否定する上にご自身のとてつもない神々しいと勘違いする治療が存在しているわけで、明らかに、患者のためではなく歯科医師自身の為の治療に他ならない
ST先生のお怒りにまさに同意するわけです。そのST先生、、、
数十万請求のマイクロ歯内療法専門医が「私はベストを尽くした、これ以上は出来ない」と患者を放り投げ、しかし耐えられない痛みを伴うこの患者のマイクロエンドをいともたやすく(?ごめん)やり直している。
スーパーGPの仲間達を、なめるんじゃないよ(笑)。


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