里見先生の「医者と患者のコミュニケーション論」(新潮新書 kindle版)を、暇を見つけて読んでいた。文章が良い意味乱暴で切れが良くてそして言い切って、あやふやではなくてトンとどうでも良いだろう周りの医師には全く気を遣わない、そして限りなく患者や後輩に暖かい(笑)、すごく好きだ。碌でもない現代の医者が何故できあがるのかよくわかるし、歯科とて例外ではないだろうなと。
患者に触りもせずに肺がんの治療をする現代の医師にもの申す姿は、そうだよなぁ、そういや、いるものなぁ、画面と検査値ばかりみて患者の顔をきちんと見ることが出来ない医者。検査をしないと病名の予測すら出来ない医者。検査をしないと何もわかりませんと言い切る医者。患者がどんなに具合が悪くても検査値は正常だから何でも無いと言い張る医者。里見先生は遠回しではなく、このスキルの無い医者達に活を入れている。加えてコミュニケーションの本来の目的とあり方を提示しているのだが、いやはや面白かった。歯科関連で流通している有名なくだらないコンサルやくだらないドクター達に聞かせたやりたい。
さて、ストックホルムに学会で行っていたワシと知り合ったジュネーブ大学在学時のT先生がこの間八戸まで遊びに来た。現在は東北大学で時折山形の兄ちゃんの診療室で非常勤もしている。ワシより20以上も年下なのだがとても共感する部分が多く感心した。
その一つが、米国の歯科事情はとても拝金的で好きになれない。全ての理屈が拝金的。結果ありきの、わしがいつも言う「で、結局どうすれば良いの?」という思考停止医療に疑問を感じる事。
二つ目が、米国帰りの先生達は何故「仲買人」になって日本で物売りセミナーを開くのか。残念で仕方が無い。・・・というような事。
わかる。ワシは留学経験など無いが、最近また米国帰りの最新歯科事情とかで様々な種類の様々なアイテムを金のかかるスキルで包み同枠で販売するセミナーのなんと多いことか。しかも臨床経験どんだけあるんだよ、無いだろおまえ、という講師がだ。背景にあるのは人の書いた論文をエビデンスにしてあたかも自分がそう考えているかのようなそぶり。つまりさっきの「で、結局どうすれば良いの?」というのは、人のふんどしで相撲を取ることになれきってしまった現代歯科事情。ワシは「あなたはどう思う?」「それはなぜ?」が大いに聞きたい。「じゃあ、こうしてみてはいかがか?」の背景にある経験則や己のエビデンスで話をすると、そう、米国では裁判に負けるからだ。米国医療の目的は治療なのである。バカというか、おかしな国だね。
T先生はそれがいやだと。自分で考えて自分で思考して自分でそれをまとめて、それをエビデンスとして話をしたい、、という非常に秀才なのだ。次の世代こういう人が居ないと困るもんね。
青木先生から(実名(笑))ムーニックで行われているIAAIDのdigital dentistryの感想がなんとなく来た(笑)。スラビチェック流診断からのコンピュータ歯科は、ただただコンピュータを使って補綴や矯正している人の発表と全く違ってました!
ニューマシンで3D補綴を行うことがデジタルデンティストリーではないことを知っているのですね。送っていただいた写メの中に「continual evolution」の画面が。兄ちゃんが今取り組んでいる文化人類学と共通項が沢山あることに、ああ、欧州はすごいなと今更ながら考えてしまうのです。矯正でもPCが曲げたワイヤーで仕上げをするというのは、そのプログラムの背景に補綴どころではないものすごいアルゴリズムが存在することをワシは知っている(笑)。しかも1/fファクターも必要。すごい。
で、しつこいが、米国には医療哲学はない。あるのは、ハウツーとルールだけ。言い切ろうっと、里見先生のように(笑)。
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