火曜日, 11月 29, 2016

ものを食べること

漱石の時代・・アナキストの秋水や菅野須賀子の事件に連座させられた紀州新宮の医師大石誠之助が言った言葉がある。彼は死刑になるのだが、日本の将来を憂いながら故郷の血気な青年達と剣呑な空想を語っただけではあった。そういう時代だったのだが。

明治維新という過ち・・という本を何度も読み返し感じた。漱石の時代の突然で巨大な不吉な機械に挟まれたようだと言う会津藤原松平の流れをくむ保守派(反急進派)は、彼だけでは無かったように、薩摩長洲の常軌を逸した嫌らしい国家改革に翻弄され命を落としたに違いない。
そんな彼が言った言葉がある。


「どんなに辛いことがあろうとも、その日か遅くとも次の日には物を食べる事がなぐさめを得る第一歩だと古人は申した」


物を食べるとは、そういうことなのである。食えなければだめなのだ。これをどこまでの人が理解しているかと言えば、当たり前のこと過ぎて皆忘れている。そして、餌では無いと言うことも、ややも忘れているか。もちろん歯科医師もその例外では無いはず。

話は飛ぶが(笑)
漱石の時代・・薄氷を踏むがごとくの勝利と言われる日露戦争。その後国民は、賠償金を取れどころか樺太はおろかバイカル湖以東を我が領土にせよと、日露戦争による財政破綻寸前の政府を非難している。果ては帝都に暴動を起こし混乱の度合いは日増しに激しくなる中、山県有朋は不満分子の一掃に出るための準備として、秋水、菅野、大石らの処刑を実行する。この時代でもわかるように、維新を持ってしての改革派の最後の手段は、同意できない輩に対する処刑という粛清なのだが、彼らがこの時代保守であるかのように振る舞ったため、社会主義や共産主義あるいは無政府主義が犠牲になったのかもしれない。それは現代でも脈々と引き継がれている事実に、かなり愕然とし納得はするのだが。

漱石の友人、伊集院影韶警視正は、この一件でこう弁解する。我が国民の性情は機敏だが計算高く活動的で且つ情緒的、考えが浅くお喋り軽躁の興奮からにわかに悲観の淵に沈む、旧幕以来何の変化も進歩も無い。そんな国民に正確な情報を与えれば、ロシアのような国より貧富の格差による歪みは小でも、なまじ教育が行き届いている分人心はたやすく動揺する。30の利はあっても70の害は避けがたい。
これは現代ともまさしく一致する。

日本人が白人から下等扱いされていたこの時代、列強に相対するには仕方の無いことかもしれなかった。しかし、260年以上に及ぶ江戸の文化を支えてきた平和の日本文化は、薩長の西欧化においてこうやって戦いの歴史へと死していった。その薩長の系譜は脈々と大東亜戦争時の陸軍に引き継がれその精鋭が関東軍を名乗った。
江戸末期、徳川幕府に対して尊皇攘夷を掲げたい薩摩は、江戸市中において強盗窃盗火付け強姦殺人、ありとあらゆる悪の限りを尽くし、江戸治安維持のため幕府が薩摩を打つために出張るように仕掛けた薩摩の工作だった。これが元で幕府軍は江戸にて薩摩藩邸を焼き討ち、それがのろしとなり薩長の倒幕が本格的に始まる。戊申戦争時も会津の兵士の首を切り落としその口にその兵士の男根を切断して突っ込み醜悪の限りを尽くしたのも薩摩なのだ。毎度同じような工作を仕掛けそれを口実にする手口は関東軍の工作とも一致する。

その彼らに打たれた、紀州の医師大石の無念は幾ばくか。いつの間にか改革急進派は保守にすり替わっている。そしてわしらの習った薩長の創作した都合の良い幕末から明治の歴史もまた、大東亜戦争のあと、連合国の都合の良い歴史で苦しむわしらだが、これもまた全く同じ轍を踏まされている訳だ。

そして、食うことは実に生きることである事で、心のなぐさめであるからこその動乱なのだと実感。




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