木曜日, 1月 10, 2013

垣根の文化

もうすぐ、サザエさんの父親であるところの波平と同じ年になります。でも毛はふさふさです。先般、兄ちゃんの講演やブログでも紹介されたとおり、波平54歳、島耕作65歳という「時代」に裏打ちされた年齢に驚愕すると共に、ああ、人生100年時代かとふと考えたりもします。

そんな時代背景をワシの年で思い出すのは、写真でもなく映画でもなく、そう、漫画です。昭和40年代を七戸という田舎で過ごしたワシは、原風景がもろに田舎の田園風景であり、果てしなく続く真っ直ぐのパイロットファームの十勝ライクな地平線だったりします。ですから、都会社会の風景の情報は漫画でした。赤塚や手塚の漫画に出てくる高い板塀で仕切られた路地は見たことがありませんでしたから憧れました(笑)。しかし、家々の境は、低い垣根で隣が薄ぼんやり何しているか見えるか見えないのギリギリの文化が日本だなと思っていました。

後に、開業時25年前、ある本を読みますと、歯科でのユニットとユニットの境は、日本の場合個室ではなく垣根だという蘊蓄を見つけ大いに賛同したものです。しかし波平の時代から日本は大きく様変わりをし始め個人はその主張をかすかな垣間見る本当の何となくの情報から、閉鎖されたプライバシーへと変遷していきました。情報自体はそこから発信される情報を様々な形での共有へと変化し、情報の判断は自ずと個人の判断に任されるようになったのですね。ウチの診療室ももうすぐ、そういう要求にこたえなければならない時代へと変わっていきます。

が、本当はこう言う事に抵抗があるのは否めません。垣間見るふとした瞬間のふとした思いがリアリティだと信じてはいます。瞬間と瞬間の継続は、実は連続している時間ではないと考えています。その瞬間こそリアリティだと。だからビックバンの瞬間と、その後今の今まで流れる時間は別のモノだと思っていますから、共有でしかリアリティを感じることの出来ない今の時間はあまり好きじゃ無いのかもしれません。垣根の間からこぼれるファジーな瞬間こそ本物じゃないかなと。

格差社会と言いますが、漫画で思い出す社会はとんでもない格差社会でした。小学生の頃の集合写真を見ました。前列で座っている女子は履きつぶれた中履きのつま先がバックリ割れています。気にしてないんですね。友達はゴム短靴が沢山居ました。貧乏な家はひたすら貧乏でしたが皆とても明るいし貧乏を気にしている様子も無く大人も皆とてもきらきら見えました。お金の有る無しと幸福感が別物だった時代、格差と不幸はやはり別物だったような気がします。今の時代は何かの毒が蔓延しているんだろうな。

実は、日曜日ふらりと出かけた先で撮ってきた写真の一枚から、こんな事をツレツレと考えたりしていたのでした。
え、う〜〜んと、、、、疲れているのか?(笑)





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