金曜日, 3月 11, 2016

3.11の記憶そして天に届くかの防潮堤計画

もう5年が経ちました。そして未だ問題山積の現地に足を踏み入れたのは、昨年でしたが。。。記憶の忘却は恐ろしいもので、現地を間近に感じなければ当たり前の日常が当たり前の時間軸で淡々と流れているかのような勝手な思いこみで、多分自分も逃避しているのかもしれません。
忘れないように、過去のブログを振り返ります。
地震直後の様子と色々。。

http://www.f-arts.co.jp/iblog/B919859032/C1905019242/E20110313163116/index.html
ここから、previousを順に見てみると当時の状況が分かりますね。

ケニアのマゴソから涙、不覚にもまた泣いてしまった。。彼らに彼女らに私たちはどんな気持ちの恩返しをしたのだろう。いや、しなければならないのか。。。。
http://www.f-arts.co.jp/iblog/B919859032/C293475216/E20110324162843/index.html



現地へと向かう
http://www.f-arts.co.jp/iblog/B919859032/C349513476/E20110401131417/index.html
http://www.f-arts.co.jp/iblog/B919859032/C349513476/E20110404130040/index.html
http://www.f-arts.co.jp/iblog/B919859032/C349513476/E20110411125944/index.html

その他色々詳細はこちらからも
http://www.f-arts.co.jp/iblog/B919859032/2011/index.html


ワシらが入った宮古市田老地区は要塞のような防潮堤に守られたはずの街でした。あの悲劇から5年、三陸地域では空に届かんばかりの10メートルクラス防潮堤をココソコに見ることが出来るようになるでしょう。美しい海は間近に見ることが出来ず、まさに塀の中。。。。賛否両論あるでしょうが、ワシは実に悲しい気持ちになりました。

しかしなぁ、田老でさえ10メートルクラスのものが用をなさなかったワケで、そういうものを400キロ造ることは、万里の長城への挑戦か?
そのことに何か意味があるのだろうか?
家を守る?人は避難でカバーできるからやはり家を守る?

ちなみに田老では局地的に最大38メートルの津波でしたが。。。。。

これらの防潮堤は、、、何を守るモノなのだろう?生活?海?ワシには分からないのですよ。海も人も何も見えません。

あれから、5年。鎮魂と言うにはまだまだ時間がかかりそうな被災地です。


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