月曜日, 12月 24, 2012

愛と平和の言霊ライブ5

昨日はクリスマスイブイブ。日曜の午後より、カフカ的K氏こと大庭れいじ氏の主宰する「愛と平和の言霊ライブ」に参加、いや参戦してきました。ワシはこれで3回目の出場となります。回を追う毎にトーンダウンするのではなく、回を追う毎に益々持って充実の度合いを深めていくこのライブは、不思議な魅力を持っているようです。

「愛と平和の言霊ライブ5」後半のストリーミングはこちら

毎回思うのですが、出演者約20名以上の中で、やはりひときわ群を抜いて強烈な個性と強烈な自我を惜しげも無く異空間に繰り広げる氏のエネルギーは、誰もまねることの出来ない強い信念と、世界に我アリという時間と空間の波に逆らうがごとくの強い足腰に裏打ちされ、だからこそ皆圧倒されるのではないかと思っています。

サルトルがかつて「実存主義はヒューマニズムであるか」の中で「実存は本質に先立つ」と主張し「人間は自由という刑に処せられている」と言い切っています。神のみを信じるのなら、神の意志による本質を決められてから実存するワシらだが、しかし、サルトルの言う前提とは「絶対」にあたる神がいないのなら、あらゆるものは実存が本質の先に立つわけです。
どうですか、氏の燃えるような短歌を聞きながらいつもワシはその自由という前提での即時存在を感じずにはいられないのです。そして、サルトルの言う「対自」pour-soiである人間を氏にいつも見るわけです。「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるもの」・・・・・・サルトルの言う自由とは、自分自らが思い至って行った行動の全ては、人類全体をも巻き込むものであり、そしてその責任は全て自分に帰ってくる覚悟が必然だと。愛と平和の言霊がそういう深い信念で多くの人を突き動かし始めている瞬間なのである。

(ほぼ)弘前から、STKY先生がこのライブのために来八。今回出場を考えていたのだけれど見送り(笑)、次回持ち越し。後輩の五戸のDr.Jr.FNKSも大いに感化。二人で次回3月のライブは大いに心をアートして頂きたい。特にSTKY先生の奥底の素質はワシが保障する。

今回のライブに限らずふと思うのだが、カフカ的K氏はCMをあまり上手く使わない。マスコミやメディアも上手に使っていない。手作りと出来るがまま。ワシはそれが好きでたまらない。綺麗な側面ばかりが見えるCMやメディアに埋もれた本当の姿は、実は猥雑なものだったりすることを知りすぎているからだろうか。
ふと自分の医院の広告やネット上での告知に少し赤面したわけで、多くのその他大勢が、例えばCM等で選択しないことを選択する自由は特筆に値するのは僅かな期間であり、きれい事ばかりのネット上のきらびやかな装飾もまたウソの塊である即時存在として、自分自身が認知していく覚悟が、、、
果たして自分にあるのだろうかと。そう、恥を知るか否か。
ここで一首。

山形の兄ちゃんが「そんなめんどくさいことはじつはめんどくさいだろ」と酒を飲みつつ。


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